裏千家の家元とは? そもそも家元ってなに? 歴史を調べてみた

裏千家茶道を習い始めると、必ず何度かは耳にするのが「家元」という言葉です。

家元とは、日本全国にある裏千家の全ての茶道教室や組織の、総合責任者のことです。

なので、日本にある全ての裏千家茶道を率いるという、重責を担っているのですね。

家元は、千利休の代から、千家の後継者が代々引き継いでいる、歴史ある地位です。

ここでは、裏千家の家元の歴史や、現在の家元の親族のことについてまとめました。

 

 

裏千家の家元の歴代について

茶道の全ての流派の家元の創始者は、ご存知・千利休です。

ただ、千利休の代では、まだ裏千家などの細かい流派には分かれていませんでした。

流派が枝分かれしたのは、千利休のひ孫の代からです。

裏千家の創始者は、千利休から4代目に当たる千宗室によって開かれました。

千宗室が、裏千家の本拠地の茶室・今日庵(こんにちあん)を作ったことで始まったのです。

ちなみに、裏千家の現在の家元も、千利休の直結の子孫にあたります。

裏千家の家元は代々、千利休の直結の親族が受け継いできたのですね。

さて、現代はグローバル時代ですが、裏千家の歴代家元の中には、それをいち早く取り入れた人物もいました。

11代家元・千斎中は、幕末から明治にかけて、茶道の普及に尽力した家元です。

この千斎中は、明治天皇の命を受け、海外から来る来賓をもてなすための茶性の点前を作りました。

これが、「畳に正座」ではなく「イスとテーブル席」を使った「立礼(りゅうれい)」です。

千斎中のグローバル感覚は、その後の裏千家に色濃く反映されています。

これを大きく花開かせたのが、戦前・戦後を駆け抜けた15代家元・千玄室です。

自信の戦争体験から、「一碗からピースフルネスを」の合言葉を作り、平和のための茶道を追求しています。

90歳を超えた今も、現・家元である16代家元・千宗室と共に、その普及に世界を飛び回っています。

 

裏千家の家元の長男、次男、夫人の情報をチェック!

さて、裏千家の現・家元は千宗室ですが、いずれは子の代に世代交代が行われます。

では、現在の裏千家の親族は、どのような人たちがいるのでしょうか。

そこで、裏千家の家元の長男・次男・夫人のことについて触れていきます。

裏千家の家元の長男は、現在は裏千家を離れ、茶道とは別の道を歩んでいるようです。

若い頃からご自身の進む道を決めておられたようで、自分の道を精進するべく独立しています。

裏千家に生まれると、「茶道のために生きる」ということが運命づけられています。

そのため、茶道以外の道を歩む場合は、家を出て自立しなければならないのです。

従来通りのやり方で行くと、長男が家元を継ぐのが裏千家のしきたりでした。

しかし、現在は長男が裏千家を離れたため、次期家元は次男とされています。

そのため、次男は現在、家元を継ぐべく、日々精進しているようです。

ちなみに、裏千家の家元には、長男・次男の他に、長女もいます。

家元は代々男性が継ぐので、長女は、基本的に後を継ぐことはありません。

しかし、長女もまた茶道の道に進んでおり、家元を支えるための努力を続けているようです。

一方、現在の家元夫人は、宮家から裏千家の嫁いで来られた方です。

若い頃は留学など、海外経験も豊富だったという、時代を先取りする女性でした。

そのグローバル感覚を生かし、家元と共に、茶道の更なる普及に尽力しているそうです。

今も、世界を駆け巡りながら茶道を広め、そして家元のサポートをこなしています。

 

 

まとめ

裏千家は、千利休のひ孫である、4代目・千宗室によって創設された流派です。

江戸時代初期に創設され、400年以上の歴史がありますが、特筆すべきはその国際感覚です。

格式ある日本の伝統芸術でありながら、国際感覚をいち早く取り入れた点前も作り出しました。

現在は、前・家元、現・家元共に、その精神を普及させる活動にも尽力しています。

又、現・家元には、長男、次男、長女がおり、夫人は宮家から嫁いできた方です。

長男は裏千家と茶道の道を離れ、次期家元は次男とされています。

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